「食べるなっていう事?」第二次世界大戦中の日本の生活
2017/09/12
白いゴハンというのが、とんでもないご馳走という地位にあったようです。卵は病気の人しかたべられない。などと戦後70年の現在でも第二次世界大戦中の日本の生活について聞いたことがありませんか。
今回は、第二次世界大戦中の日本の生活についてまとめてみました。
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第二次世界大戦中の日本の食生活|米の精米
農林省令によって重量の割合が94パーセント以下にならないうように 指定された結果、米の精米は七分搗(づ)きになりました。これを法定米もしくは七分搗(づ)き米と呼びました。米は搗(つ)けば搗(つ)くほど量が減るので、それを防ぐためでした。ちなみに現在我々が食べている米は籾(もみ)から取った玄米の周囲にある皮を、完全に取り除くまでに十割精白した白米ですが、七分搗(づ)きの米とは玄米の皮が、30パーセント残っている状態でした。口に入れるとぶつぶつした舌触りがして食べにくいし、幼児や年寄りには消化が悪くお腹をこわす場合もありました。
精米業者には7分搗(づ)き以上に米を白く搗(つ)くことが禁止されたものの、個人で搗(つ)くことには支障がなかったので各家庭では「舌ざわりが良く、美味しく食べられる米」を作るために精米を始めました。現在スパーなどで売られている家庭用精米機が戦時中には未だ無かったので、米をビール瓶や1升瓶に入れて上から専用の棒で突いて、米同士の摩擦で米粒の周囲の皮を取り除く精米方法が流行りました。ちなみに炊飯に際して米をと(研)ぐという言葉は、米を研磨して米ぬかを落とすことから来た言葉ですが、精米機が無かった江戸時代の精米方法とは、玄米を臼に入れて餅をつくように、杵で搗(つ)いて精米をしました。
引用元-昔の生活、配給制度
第二次世界大戦中の日本の食生活|金魚酒の配給
昭和15年(1940年)になると4月から米、みそ、砂糖、マッチなど生活必需品の10品目が切符制になりなりました
引用元-昔の生活、配給制度
6月になると家庭用ビールの配給制が実施され、酒も量を増やす為に水で薄めたアルコール分10度以下のものも販売されるようになり、余りにもアルコール成分が薄いので、飲んでも酔わずに金魚を酒の中に入れても死なずに泳ぐ「金魚酒」と評判になりました。
タバコも配給制になりましたが、最初は成人一日当たり「金鵄、(きんし)」5本でした。しかしその後紙巻きタバコ(シガレット)が配給されなくなり、タバコ(葉を刻んだもの)とそれを巻く紙が別々に配給されるようになったので、タバコを吸う人たちは自分でタバコの葉を紙で巻いて吸うようになりました。中にはイタドリ、梅、ツバキの葉などがタバコのような味がすると称して乾燥させて刻み、配給されたタバコの葉を刻んだものに混ぜて量を増やして吸う人もいました。写真は大蔵省専売局から配給された手巻き用の巻紙ですが、戦時中に英語が敵性言語として学習禁止になったので、不要になったコンサイス英和辞典の白い紙が、家庭でのタバコの手巻きに多く利用されました。精製された上質紙なので、紙の味が少ないのだそうです。
引用元-昔の生活、配給制度
第二次世界大戦中の日本の米の配給制度は?
配給というのは、その数量を指定の場所などで買う権利があるということです。祖父母の昔話で「米穀通帳」という冊子にスタンプを押してもらい、金を支払いコメを買ったと聞いた記憶があります。配給の量だけでは生きていけませんから、不足分は各家庭が非合法(コメは全量を国が管理することになっていました)のコメを高値で買うしかなかったのです。農家の自家消費分は国に供出しないので、そのコメを高価なキモノなどと引き換えに売ってもらうようなことが多々あったそうでう。
引用元-第二次世界大戦中の「米の配給」について米の配給は1日1人あたり… – Yahoo!知恵袋
第二次世界大戦中の日本の田舎への買い出しって?
買出しが風俗を形成したのは,第2次世界大戦末期から敗戦直後の3年間ほどだった。1943年ころから戦時の諸統制がいっそう厳しくなって,配給の食品以外は東京,大阪などの大都市では入手しにくくなった。統制をくぐってこっそりとやみ商人が売る食品は高価で庶民大衆は買いきれなかった。そこで,農村地域へ出向いて,農家へ直接買いに行った。リュックサックを背に大都市居住者の多くが買出しに行くと,帰路を待ちうけて警察は駅や列車内で一斉取締りをして統制品を没収した。
引用元-買(い)出し(カイダシ)とは – コトバンク
戦時中でも農家は食えないと言う事は無かった。米どころ東北や北海道はB29の航続距離圏外で空襲を逃れていたからで、しかし終戦間近に米国機動部隊により函館市が攻撃され、青函連絡船や鉄道が破壊され北海道は本土と遮断され石炭やジャガイモが輸送出来なくなったのが大変な痛手でした。
引用元-戦時中、終戦後、田舎の方も食糧不足とか有ったんですかね?若者が徴兵さ… – Yahoo!知恵袋
第二次世界大戦中の日本人の生活はとても貧しかった
当時の食糧自給率は七割で不足分は大陸からでした。食料だけでなく兵員物資の移動と最後の砦であった日本海。
日本海の海峡や湾口は厳重に機雷で封鎖され日本海は天皇の浴槽と言われたが、最後の聖域も米国の日本飢餓作戦、バニー 作戦により破られ米潜水艦により商船隊や漁船まで大損害をこうむり、本土は孤立し国民は慢性的に食料不足へ陥ります。そして戦時中は農家に米や穀物と国家への供出課せられていましたので厳しい生活でした。
何せ、国民学校、高学年男子は疎開先で勤労奉仕で田畑を耕し、女子学生は挺身隊として工場でリベットを打っていた時代です。
農家より増して都会の人々は食料、物資不足が深刻で、ラジオ放送で、どこどこで配給があると報じられると長蛇の列となり、すぐ売り切れとなり配給切符があっても買えない状態であったと言う。
引用元-戦時中、終戦後、田舎の方も食糧不足とか有ったんですかね?若者が徴兵さ… – Yahoo!知恵袋
まとめ
戦争の内容についても、第一次世界大戦のときから戦争の様相が変わり、軍隊同士が殺し合うのではなく、何の罪もない一般市民を無差別に殺し合うという形になり、第二次世界大戦ではそれがますます拡大して、何千万人という人間が虐殺されたそうです。そのため第二次大戦が終わったとき、世界中の人々が抱いた思いは、「戦争はそれ自体、悪だ」というものだったそうです。
戦後70年の今、その思いを風化させてはいけないと思います。
twitterの反応
https://twitter.com/hongqir/status/679689289693700097
生活保護を含めた社会権の登場は第二次世界大戦後。ドイツのワイマール憲法が最初。日本の場合、憲法で最低限度の生活を保障しているからこれをなくすことはできない。
— かえる (@gm0317fr) December 20, 2015
第二次世界大戦で最大の失敗は相手を研究するどころか、シャットアウトして盲信だけで突っ走ったからってよく言われるよねえ。
アメリカは日本家屋の特徴から生活様式から何から何まで研究し尽くして最も効果的にダメージを与える攻撃をしたのに。
日本人の性質なのではないだろうか。— パトリック (@Meghe3) December 18, 2015
↓経済政策のミスの連続により、膨大な富をドブに捨て、多くの人の生活や命までも奪ってきたのがこの20年間の日本の政治。ここ100年間では第二次世界大戦に次ぐ悲惨さじゃないだろうか。恐ろしいのは、それを明確に気づくことが難しいこと。みんな変だなぁと思っているはずだが。
— kokiya (@kokiya) December 9, 2015
ハイキュー!!とは第二次世界大戦当時の日本の国民生活を描いた作品である
— あっ、肺 (@FA_Lung) December 5, 2015
1995年NHKスペシャル「映像の世紀」再放送を録画して観ている。第5集「世界は地獄を見た」は第二次大戦時の衝撃映像ばかり。権力を持った人間が明らかに間違った事をしていても、誰も抵抗出来ない空気。それは現代の平和と言える日本にも存在する。それこそ普通のサラリーマン生活の中にも。
— RMT (@hanamugrivox) November 29, 2015
https://twitter.com/noh000/status/670717536233586688
https://twitter.com/dobnoic2/status/670618422280118276
https://twitter.com/keight1917/status/670522878568198144
https://twitter.com/Rfssica_modef/status/664103494899494912
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