戦時中の女性はどんな仕事をしていたのか?
2017/09/12
今年で戦後70年を迎えます。
当時、戦争に駆り出された男性たちの影で
女性たちはどんな仕事をしていたのでしょうか?
戦時中の女性がしていた仕事について調べてみました。
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皆が嫌がる消防団や婦人会の仕事
「きんは100シャア、ぎんも100シャア」—そんな名セリフで日本中を沸かせた双子の100才、きんさんぎんさん。あれから20年が経ち、ぎんさんの4人の娘たちもいまや平均年齢93才、母親譲りのご長寿だ。彼女たちが当時のつらい思い出を語ってくれた。
1937年(昭和12年)7月7日、中国の盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争が勃発。翌年には国家総動員法が公布され日本は戦争という暗いトンネルにはいっていった。中国からのニワトリの餌も途絶え、ぎんさんの家では、養鶏業をやめざるをえなくなった。
そして1941年(昭和16年)、12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争へ突入していった。この戦時下、ぎんさんの心はいたく傷ついた。
というのも、双子でライバルのように競っていた姉・きんさんは、夫・良吉さんとの間に4男7女をもうけ、この戦争で長男と次男を中国大陸の戦地に送ったが、ぎんさん夫婦は男の子を授からなかったからだ。
百合子さん(四女・91才)「私らが結婚する前は、そりゃひどい目におうた。男はお国のためにと兵隊に出せるが、うちは女の子ばっかりだったでな。世間からはそりゃ白い眼で見られた」
太平洋戦争では、最大で700万人以上の徴兵が行われた。夫や子供、父親が戦争に駆り出され、多くの家庭はつらい思いをした。そんななか、女ばかりのぎんさん一家は周囲から浮くようになり、疎んじられた。
美根代さん(五女・89才)「道を歩くだけで、非国民といわれたがね。おっかさんも、“お前さんとこは女ばかりだで、人手が余っとるやろ”と、皆が嫌がる消防団の仕事や婦人会の仕事などを次から次へと押しつけられた。畑で細々と野菜を作っとったが、当時は供出というて、国に出さないかんかった。それもうちは、よそより余計に出せぇっていわれただが」
ぎんさんはそんなときでも、ただ黙ってじっと耐えていた。
引用元-蟹江ぎんさん4人娘 戦時中は歩くだけで“非国民”といわれた – ライブドアニュース
飛行機工場でエンジンを造る女性
<戦争中は学生も工場へ>
1945年、日本では戦争が始まって9年になり、食べる物も着るものも不足し、毎日お腹のすいた状態でした。男性は軍人として召集されるので、国内にいる学生は、勉強をやめさせられ、軍需工場に動員されて、毎日休日なしに働きました。私は、広島市の郊外で育ち、女学校の寄宿舎に入寮していましたが、学校ではなく工場に通っていました。<広島市で原子爆弾に被爆>
1945年8月6日、午前8時15分、私たち山中高等女学校の生徒たちは、爆心地から1.5kmの飛行機工場でエンジンを造る作業をしていました。
私たちがメッキの作業台で仕事を始めた時、ピカッと光り、隣りの友達と顔を見合わせた瞬間、ドーンと大音響がして真っ暗になり、爆風で屋根や窓ガラスがグワーンと飛んで来ました。私は田舎育ちで反射神経があり、ぱっと作業台の下に入りました。2、3分して音が静まり、立ち上がったら、屋根はなく青空が見えました。
そのまま立っていた同級生は、飛んで来たガラスや材木の破片で肩や頭を負傷して血が吹き出していました。私は幸いにも無傷でした。
引用元-広島の声 – 広島・長崎の記憶〜被爆者からのメッセージ?-?朝日新聞社
戦時中の女学生達の仕事
昭和十九年(1944)春、文部大臣の提案説明で閣議決定されたと聞く「学徒戦時動員」が発令されました。その時私達は女学校三年生、年齢にして十五、六歳でした。制服を国防色の戦闘帽と胸当てのついたツナギズボンにかえたその胸には、七生報国(七度生まれ変わって国に尽くすの意)の誇りを込めた学徒章と校章、職種記号と名前を書いた名札に血液型まで記されていました。後に神風鉢巻、ヘルメット、防空頭巾と救急袋を肩にかけ、小さな身体には物々しいいで立ちで、学校に通う私達でした。
工場へ動員される初日、爽やかに晴れ渡った空の下、校庭に整列し校長先生の訓示等で、私達は生まれて初めての緊張感に包まれた時を過ごしました。多分その時、お国の為に頑張ろうという気概に満ちていたはずです。勇ましい足どりで校門を出て工場へと歩きました。
引用元-戦争、そして学徒動員
作業内容は、板金工はジュラルミンを裁断機や鉄の鋏で切り、やすりで面取りをしたり、電気ドリルで穴を開けたりします。仕上げ工は、ボルトやナットの穴を調整したり、操縦席の風防を寸法通りやすりで削り、調えて磨いたりします。検査工は、半製品や材料の硬度をマイクロメーターで測ったり、ノギスで寸法を測ったりして検査する、精密な仕事でした。
引用元-戦争、そして学徒動員
当時は何も知らされていませんでしたが、私達が作っていたのは迎撃機「紫電改」だったと後に知りました。また、作業中に電気ドリルを落として足に大けがをしたり、裁断機で指を落としたりした人もいましたが、一切「しゃべったらいけない」と言われていましたし、劣悪な作業環境から結核になった人もいましたが、それも極秘でした。
私達に支給される昼食は、弾丸のように握られた豆かすとお米で作ったおむすび二つ。女学生に多すぎたのは少しの間で、すぐに一つに減り、やがて田んぼで作った水臭い馬鈴薯と岩塩になりましたが、贅沢は言えない時代でした。引用元-戦争、そして学徒動員
戦時中の女性の過酷な労働
戦争における最大の犠牲者は前線に送られた兵士たちだが、“銃後”の女性たちもまた戦争遂行という国策によって動員された犠牲者だった——第二次世界大戦下の女子労働者の実態を明らかにした冊子『武蔵野市女性史 あのころ そのとき—国策に絡め捕られて—』が刊行された。戦時中、東京都武蔵野市にあった大規模な戦闘機製造工場の中島飛行機に動員された若い女性たちの労働実態の記録だ。
引用元-リベラル21 戦時下の女性の過酷な労働実態を明らかに
さて、武蔵製作所に動員された女性たちの労働環境はどんなものだったか。
動員された女性の中には女学校の生徒もいた。分かっているだけでも東京近辺を中心に24校にのぼる。1944年4月からは高学年順に次々と動員され、戦争末期には2年生(14歳)までも動員された。印象的なのは次のような記述だ。「遠く鹿児島や四国、島根などから、国民学校(小学校)を卒業したばかりの何百人もの少女たちが動員されて来ていたという記録がある」彼女たちは製図工、写図工、機械工、旋盤工、塗装工、仕上工、事務、タイピストなどとして働いたが、原則として8時間3交代制だった。生産に従事する者には深夜業があり、眠気覚ましのために覚醒剤のヒロポンが配られた。休日は月に2日。
コンクリートの床の上での立ちっぱなしの仕事もあり、冬期にはかなり冷え込み、身体の不調を引き起こした人もいたようだ。「下がたたきだから寒くて機械にぺたっと手がくっついてしまう。私の足が痛いのは、どうもそのときの神経痛じゃないかと思うんです」「私はひどい神経痛になり、モルヒネとか灸で激痛をおさえていた」といった証言がある。
彼女たちの住まいは女子寮だったが、そこでの生活を経験した人は「寮のふとんにはノミやシラミがいっぱいいた。半夜勤や夜勤のときは、こんなふとんでも、みんな一緒にくるまって寝た。家に帰って着替えると、縫い目にそってシラミが行列していて仰天した」と証言している。
引用元-リベラル21 戦時下の女性の過酷な労働実態を明らかに
女性と戦争
日中戦争以降の新聞には、女性の勤労を賛美する記事が数多く掲載された。「興亜娘夏姿」「必勝の戦いは弾丸から」「良き母となるために」等々。現在に至るまで働く女性がこれだけ賞賛された時代はなかった。
戦争で労働力不足が深刻化するなか、それまで男性の職場だった分野に女性を動員する必要に迫られた。戦前の日本では「女は働かぬものだ」という考えが根強かった。
女性を動員するためには、この価値観を打ち砕かねばならなかった。新聞が「女性の勤労は尊い」と繰り返し強調したのはそのためだった。
厚生省は1939年に女性にふさわしい仕事内容について通達を出した。(1)単純簡易な作業、(2)手指を主とする作業、(3)半熟練・未熟練作業などだ。
戦時期の女性労働は戦後の女性の職場進出につながった。同時に「女性に向くのは単純作業」という男女差別も作り出された。
引用元-時代を駆ける:女性と戦争(2)—今日の新聞批評(7月28日)
戦時中の女性労働の現場では、男性との賃金格差に不満がくすぶっていた。山川菊枝は新聞のコラムで、「女はただ女だという理由だけで、初任給も昇給も男より低い」と憤っている。
男性に代わる労働力として動員しておきながら、なぜ女性は低賃金だったのか。その理由を厚生省の役人が講演でのべている。主人の所得によって家庭は維持されるという原則からも、女性の勤労成果が男性と同じであっても、女性の給与は男子と同額であってはならない、と。
戦時中、「子宝手当」「妻子手当」という制度があった。企業が妻子を養う夫に与えた手当で、「配偶者手当」「家族手当」として現在まで続く。1940年には「人口増殖、結婚奨励」を目的に所得税法が改定され、妻の扶養控除分も認められた。扶養控除拡大は人口政策の一環だった。
家族単位の給与体系は、日本の労働者が伝統的家族制度の下で安定した家庭生活を営むことができるようにすることがネライだった。裏返せば、扶養される女性は低賃金でいいとされたのだ。そのことが現在まで続く男女賃金格差として続いている。
引用元-時代を駆ける:女性と戦争(2)—今日の新聞批評(7月28日)
まとめ
改めて今がどれだけ恵まれているかと言うことに気付かされます。
twitterの反応
そいえば現代日本の若い女性の一日取得カロリーが、戦時中よりも北朝鮮よりも低くてみんな痩せてるとかいうニュース見たんだが、そりゃカロリー使う仕事減ってるわけだから摂取量減って当たり前なんでは。健康な身体維持できる+αで十分だろうし、身近でできる省エネでいいじゃん。。
— athchamoch (@ah_moc) March 19, 2015
@ikaika_monaka31 戦時中に女性が働いていた職場に復員兵がたくさん仕事を求めてやってきて女性が失業、ってアガサ・クリスティのおしどり探偵にありました。
— ページのP (@page_no_p) March 9, 2015
んでもって終戦後、最終戦争に参加していたやる夫が復員したところを友人のやらない夫が「ちょっといい職場あるんだけど…働いてかない?」「あぁ~いいっすね~」でホイホイとついた仕事が「WHO施設での『戦時中に機械化された女性の日常復帰支援』」。メンタルケアですな。ちなみに主人公は全裸。
— あきじん (@akizin0121) March 6, 2015
朝ドラまっさん余りに不公正;先の大戦に女子挺身隊の軍需工場なにも我が国だけじゃない彼の国も同じで仏女性など男払底で主力、しかし戦後寡婦になったも男帰還で仕事なく路頭に:これこそ問題(戦時中に実力に目覚め国の恣意的政策に欺瞞視が後のウーマンリブに収斂したは当然)昔の事を今の見方卑怯
— yuzuriha (@yuzuriha2) March 2, 2015
けど戦争終わったら男性が帰ってきて殆どの仕事は男性がしていたのだけど、戦時中に女性の仕事能力が男性と対して変わらないとわかったから女性の株は上がってその後の女性進出に繋がったってこの間教授に言われた。日本は遅れてる。法律あっても男女の給料には確実にに差がある。女性蔑視
— 元魔王リリア (@tsukiuta_love) March 2, 2015
そもそも男性優位社会なんて狩猟民族や戦時中のものだとおもうんだわ 農耕民族にはさほど男性優位女性優位って全くとは言わないけどほとんどない感じ 仕事のできる奴が力を持つ 暴力的な力においては女性は男性に勝てないけど、作業においては関係ないから
— ナユタ (@NayutaKoryu) December 10, 2014
↓ RT 私もずっと同じ事思ってた。女性の生き方って時代に決められるものなの?戦時中は産めよ増やせよ。高度経済成長期には家庭を守れ。そして今や仕事もしろと。男の生き方は変わらないのに女性はどんどん役目が増える。女性が輝ける社会って自分で生き方決められる社会じゃないの?
— きえ (@mkeew) October 2, 2014
https://twitter.com/tomokomusiK/status/517202202260013056
朝日新聞社長の会見でも、戦時中の慰安婦に「広義の強制性」があったと強弁していたが、現代であっても、そもそも好きでそういった仕事につく女性がどれだけいるというのか。もし「広義の強制性」が重要だと言うなら、経済的理由で風俗で働いている女性を助けるキャンペーンをやったらどうなんだ。
— Tsukasa Shirakawa(白川司) (@lingualandjp) September 11, 2014
https://twitter.com/deadly_nanamy/status/506764644086591488″
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